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<title>神戸経済研究所の公式ブログ～研究用の掲示板です～</title>
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<description>　「もうかりまっか」、「ボチボチでんな」とか、「あきまへん」の口調の中から、経済を感じ取る。日常生活の中から経済学を見て、研究し、情報を発信する、そいう神戸経済研究所にしたいと思っています。</description>
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<title>幽霊の正体見たり枯れ尾花～貨幣の正体は？～</title>
<description> 商品の学習は、「商品は何故、貨幣になるのか？」　　「商品は何によって、貨幣になるのか？」の部分は、後回しにして、先ずは、「商品はどのように貨幣になるのか？」から、進めます。 商品論の中で、一番わかりにくいと言われる価値形態論がここでのテーマーです。価値形態論の主題は、貨幣という存在の必然性を、商品世界の仕組みから明らかにしてゆくところにあります。　結論から言いますと、貨幣は、金や銀という物質の特別
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img053.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img053.jpg" alt="img053.jpg" border="0" width="500" height="500" /></a><br /> <span style="font-size:large;"><br /> <span style="font-size:large;"> 商品の学習は、「商品は何故、貨幣になるのか？」　　「商品は何によって、貨幣になるのか？」の部分は、後回しにして、先ずは、「商品はどのように貨幣になるのか？」から、進めます。</span><br /><br /> 商品論の中で、一番わかりにくいと言われる価値形態論がここでのテーマーです。価値形態論の主題は、貨幣という存在の必然性を、商品世界の仕組みから明らかにしてゆくところにあります。<br /><br />　結論から言いますと、貨幣は、金や銀という物質の特別の性質から生まれるものではなく、ごく普通の、一番単純な商品交換の中に、その基礎が存在しており、貨幣の機能は、単純な商品交換の仕組みが発展したものに過ぎません。<br /><br />　その発展の過程を、単純⇒複雑なものへと順次、追跡します。それは商品交換の歴史を追ったものではなく、論理的な関係を追跡するのが、価値形態論の主題です。<br />　<br />　Ａ　簡単な価値形態論　（　リンネル　２０ ell ＝　上着一着）<br />　Ｂ　全体的な　々　　　　<br />　Ｃ　一般的な　々<br />　Ｄ　貨幣形態<br /><br />.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />　Ｂ　簡単な価値形態の等式を　無数に並列した形になります。<br />　　　<br />      ２０ell のリンネル＝１着の上着　　　<br />      　　  または　　　＝10ポンドの茶<br />　　　　　　　々　　  ＝40ポンドのコーヒー<br />　　　　　　　々　　 ＝１クォーターの小麦                                  ←　　特殊的等価形態　　　　　　<br />                         々   　＝２オンスの金　　　　　　　　　<br />　　　　　　　々　　＝２分の１トンの鉄<br />　　　　　　　々　　＝な　どなど<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />　Ｃ　すべての商品が、この商品（リンネル）を自分の価値のモノサシとします。<br />　　　<br />       １着の上着　　　 　＝      ２０ell のリンネル<br />　　　10ポンドの茶　　　 ＝            々<br />　　　40ポンドのコーヒー＝　　　     々<br />　　　１クォーターの小麦 ＝           々　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　   <u><strong>　２オンスの金 ＝           々　　　　</strong></u>　　<br />    　２分の１トンの鉄     ＝           々<br />　　　　などなど              ＝　　　    々<br /><br />　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />　D　 貨幣形態<br /><br />　　　　   <a href="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img054.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img054.jpg" alt="img054.jpg" border="0" width="500" height="300" /></a><br /><br />   <span style="font-size:large;">等価形態となる共通のモノサシの役割は、どの商品でもその立場に立てうると見て来ました。<br />　しかし、商品の世界では、特定の商品・金に「癒着」し、独占的な機能になってくると<br />　状況は、一変します。すなわち、「貨幣形態」が登場することになります。</span><br /><br /><br /><br />                    <table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:none;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781600212/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51OX459rTdL.jpg" alt="資本論 (まんがで読破)" border="0"></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/4781600212/fc2blog-22" target="_blank">資本論 (まんがで読破)</a><br />(2008/12)<br />マルクス<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781600212/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank">商品詳細を見る</a></td></tr></table> ]]>
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<dc:subject>資本論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-15T21:18:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>たんぽぽ</dc:creator>
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<title>マルクスの分析</title>
<description> 　既に見て来ましたように、資本論の叙述は商品の分析から、商品を交換価値と使用価値とに分けることから始まっています。分析とは、◆　商品をこのように二つの構成要素に分けることです。◆　交換価値の実体が価値であることを明らかにするように　　　物事の本質的なものを取り出すことです。　マルクスにとって、分析的方法は、最初にして絶対必要な前提です。商品を価値と使用価値とに分析したことが、資本論の出発点をなしてい
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　既に見て来ましたように、資本論の叙述は商品の分析から、商品を交換価値と使用価値とに分けることから始まっています。分析とは、<br /><br />◆　商品をこのように<u>二つの構成要素に分ける</u>ことです。<br />◆　交換価値の実体が価値であることを明らかにするように<br />　　　<u>物事の本質的なものを取り出す</u>ことです。<br /><br />　マルクスにとって、分析的方法は、最初にして絶対必要な前提です。<br />商品を価値と使用価値とに分析したことが、資本論の出発点をなしています。<br /><br />　<span style="font-size:large;">分析は、<u>現実的な全体</u>からより<u>単純な概念</u>へと進み、そこから”<u>あともどりの旅</u>”が始ります。</span><br /><br /> 勿論、弁証法的な手法も重要ですが、なんでも弁証法でということではなく、弁証法の通用する<br />限界というものがあって、分析的方法しか使えない、またそれで十分な分野があるのです。<br /><br />　価値という人間と人間との社会関係と、使用価値という自然と人間の関係をはっきりと分けること、<br />即ち、社会的なものと自然なものとをはっきりと分けたことがすべてです。<br /><br />　マルクスは、価値と使用価値とを混同したそれまでの経済学の混乱に終止符を打ち、科学的な経済学の基礎を打ちたてたのです。<br /><br /> <table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:none;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272110268/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="image/noimage.gif" alt="経済学と弁証法" border="0"></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/4272110268/fc2blog-22" target="_blank">経済学と弁証法</a><br />(1979/01)<br />平野 喜一郎<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272110268/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank">商品詳細を見る</a></td></tr></table><br /><br /><br />            <table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:none;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272111078/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41QVS2KSRTL.jpg" alt="はじめて学ぶ経済学" border="0"></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/4272111078/fc2blog-22" target="_blank">はじめて学ぶ経済学</a><br />(2005/05)<br />平野 喜一郎<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272111078/fc2blog-22/ref=nosim/" target="_blank">商品詳細を見る</a></td></tr></table> ]]>
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<dc:subject>資本論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-15T16:16:46+09:00</dc:date>
<dc:creator>たんぽぽ</dc:creator>
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<title>「金はすばらしい物である！」（１５０３年、コロンブス『ジャマイカからの手紙』）</title>
<description> 　資本論・「商品」の第三節「価値形態または交換価値」にはいりました。ここを、学習する目的は、いたって明解です。「貨幣は何故、力（パワー）を持つのでしょうか？」すなわち、金はなぜ力があるのか？を解明すのが、ここでのポイントです。　タイトルのコロンブスの引用文を続けますと次のとおりです。（原書146-147ページ）金、貨幣のこととを云い得て妙なりと思われますので、最初に引用します。◆　「金はすばらしい物である
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<![CDATA[ 　<span style="font-size:large;">資本論・「商品」の第三節「価値形態または交換価値」にはいりました。<br />ここを、学習する目的は、いたって明解です。「貨幣は何故、力（パワー）を持つのでしょうか？」<br />すなわち、金はなぜ力があるのか？を解明すのが、ここでのポイントです。<br /><br />　タイトルのコロンブスの引用文を続けますと次のとおりです。（原書146-147ページ）<br />金、貨幣のこととを云い得て妙なりと思われますので、最初に引用します。<br /><br />◆　「金はすばらしい物である！　金を持つものは、自分の望むことはなんでもできる。<br />　　金をもってすれば、魂を天国に送り込むこともできる」コロンブス<br /><br />◆　「金か！　黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな！<br />　　・・・・・これだけの金があれば、黒を白に、醜を美に、<br />　　邪を正に、卑賎を高貴に、老いを若きに、<br />　　臆病を勇気に変えることもできよう。<br />　　・・・・・神々よ、どういうことだ、これは？どうしてこれを？<br />　　これはあなたがたのそばから神官や信者たちを引き離し、<br />　　まだ大丈夫という病人の頭から枕を引き剥がす代物だ。<br />　　この黄金色の奴隷めは、信仰の問題でも<br />　　人々を結合させたり離反させたりし・・・・・・・・・・」シェイクスピア『アセンズのタイモン』より。<br /><br />◆　「まったく、人の世の習いにも、<br />　　金銭ほど人に禍いをなす代物はない、<br />　　こいつのために町は亡ぼされ、民は家から追いたてられる。<br />　　この代物が人間のまともな心を迷いに導き、<br />　　ねじまげて、恥ずべき所業にむかわせ、<br />　　人々に邪悪の道を踏みならわせては、見境なしに不敵の業へさそい込むのだ」<br />　　ソフォクレス『アンティゴネ』より</span>　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />　<br /><a href="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img052.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img052.jpg" alt="グラフによる交換価値形態" border="0" width="530" height="400" /></a><br /><br />    <span style="font-size:large;">人間誰しも、次のことを知っています。使用価値の様々な自然形態をもつ諸商品を交換している時、この交換関係が成立する中に「一つの共通の価値形態」、交換を成立させる共通の尺度があることを知っている。それが、即ち貨幣形態です。<br /><br />　この貨幣形態の発生を如何に立証するかが、この章の最も大事なポイントです。<br />これによって、冒頭のコロンブスやシェークスピアの「金」「貨幣」の謎も消えうせることになるからです。</span> ]]>
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<dc:subject>資本論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-10T17:02:31+09:00</dc:date>
<dc:creator>たんぽぽ</dc:creator>
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<title>「資本論を読む会」第２回は、「商品」です。</title>
<description> 　マルクスが「資本論」を発行したのが、１８６７年ですから、今年で１４２年もたっていますが、そんなに古い著書が「今なお、我々が生きているこの時代-現代を分析する最良の手引きになる」と識者に云わしめているものは何か。これが「読む会」の興味津々たるところです。　　著者曰く、「近代社会の経済的運動法則を暴露することが資本論の最終目的である」と。　グリーンスパン前米連邦準備理事会(ＦＲＢ)議長が「１００年に１
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<![CDATA[ 　<span style="font-size:large;">マルクスが「資本論」を発行したのが、１８６７年ですから、今年で１４２年もたっていますが、そんなに古い著書が「今なお、我々が生きているこの時代-現代を分析する最良の手引きになる」と識者に云わしめているものは何か。これが「読む会」の興味津々たるところです。<br />　<br />　著者曰く、「近代社会の経済的運動法則を暴露することが資本論の最終目的である」と。<br /><br />　グリーンスパン前米連邦準備理事会(ＦＲＢ)議長が「１００年に１度か２度の出来事」と表現<br />せしめた、昨年のリーマンショック後の世界的金融危機を、どのように読み解くか、「読む会」には<br />格好の教材が眼前に開陳されています。この現象のなかに、経済的運動法則がどのように貫かれているのかを良く知ることが「読む会」の最終目的でもありましょう。</span><br /><br /> <span style="font-size:large;">詳しい内容は、『資本論　第１部　資本の生産過程　<br />　　　　　　　　　　　　　　　　第１編　商品と貨幣<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　第１章　商品　　　』　にありますが、なるべく判りやすくグラフでの講義　　がありました</span>。<br />             <br />     <a href="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img048.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-18.fc2.com/k/k/k/kkkg2009/img048.jpg" alt="グラフによる商品分析" border="0" width="537" height="334" /></a><br />　<span style="font-size:large;">　　　　　　　　<br />  　講師の説明にありました。商品を価値と使用価値とに分析すること、ここに弁証法的方法の必要はありません。価値という人間と人間との社会関係と、使用価値という自然と人間との関係をはっきり分けたこと、すなわちグラフに見られるように、社会的なものと自然的なものとをはっきり分けたことがすべてです。ここでマルクスは、価値と使用価値を混同したそれまでの経済学の混乱に終止符を打ち、科学的な経済学の基礎を打ちたてました。</span>　　　　　　　　　<br />　　　　　　<br /><span style="font-size:large;">　さて、「商品」に入る前に、講師より、学習意欲に燃える（？）我々高齢者に励ましの一文を提供してもらいました。勿論、若い方にも十分参考になることですので、ここに要約（断片）を掲載します。</span><br />　　　　<br />　　　　　　　　<br />　<span style="font-size:x-large;">　<strong>「老人の学習力」</strong></span><br /><span style="font-size:large;"><br /><br />◆　老いを称える、しかし・・・。<br />　　<br />　　　ウォルト・ホイットマン<br /> 「女、座った女、歩きまはる女　或るものは老い、<br />  或る者は若い　若いのは美しい　<br />  然し老いたのは若いのより更に美しい。」  （有島武朗訳）<br /><br />　しかし、シモーヌ・ド・ボーヴォバワール「老い」（１９７０）などを知るにつけ、苦しんでいる老人の姿に　気付かされる。老いを称えたホイットマンも、自分の老後は病気で惨めであったと記　<br />　述している。ド・ボーヴォバワール「１９６０年代、フランスの老人のおかれた絶望的な状況は修正不可<br />　能だ。」とも。現代の老人問題の核心をついた指摘である。<br /><br />◆　老人の学習力の優位性を説く、ヘーゲルのことば<br /><br />　ヘーゲル「論理学」の最終編に絶対的真理について述べているところに、「・・・・・絶対的理念は、子供も教義は口にすることはできるが、老人のように全生涯と全世界の意義がこもった内容で理解することはできない。・・・」　老人は、記憶力や計算力では若者に劣る。しかしそんな物はコンピューターに任せておけばいい。老人は同じことを学んでも、そこに全生涯と全世界を含めることができる、これこそ「老人力」である。<br /><br />◆　現代の老人向けの「資本論」講座を経験した中で。<br /><br />　年金者組合に結集し自らの要求を堂々と主張する「現代の老人」と、資本論第１巻、そして第３巻に挑戦。殆どギブアップする人もなく、「資本論」という２つの高い峰の登頂に成功した。<br /><br />　成功の三つの鍵は、<br /><br />　　①　たっぷりある学習時間である。デュルク「真の冨は自由に処分できる時間である」というように　　　　多くの自由時間は、難解な大著作を読破するために、大変有利な条件となる。<br /><br />　　②　へーゲル「同じ教義でも全生涯の意味がこもっている」という老人の認識能力である。<br />　　　　同じ概念でも、生活経験・労働体験の少ない若者よりも老人が理解した概念ははるかに内容　　　　が豊富である。<br /><br />　　③　１９５０年代、１９６０年代を積極的に生きてきた老人にとって、「資本論」はいつかは読むべき　　　　本としてあこがれに似た熱い気持ちを持ち続けていたことである。<br />　　　　<br />◆　　　桐の花駅の文庫に資本論<br /><br />　　　アダム・スミス「老後の大きな楽しみは若い時代に愛読した書物を繰り返し読むこと」とある。<br />　　掲載の俳句は、薄紫色の桐の花（夏の季語）の頃、とある駅の片隅に、立派な額に入って飾られ　　ていた句。これを見た乗客、書家、俳人ともども「資本論」を感慨をもって思い出したのであろう。<br />　　年金者組合の老人達が見事に秀峰「資本論」登頂に成功した原動力にも、「資本論」を読みたい　　　という熱い思いが働いたに違いない。<br />　　　　　<br /><br />　<br />　</span> ]]>
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<dc:subject>資本論</dc:subject>
<dc:date>2009-10-12T09:50:40+09:00</dc:date>
<dc:creator>たんぽぽ</dc:creator>
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<title>細井和貴蔵と高井としお</title>
<description> [兵庫住民と自治] より地域史人名録３７　戸崎曽太郎さんの投稿文を引用させて頂きます。名著「女工哀史」～細井和喜蔵と高井としお～　　解放運動無名戦士の墓　二人は夫婦である。としおの援助がなければ和喜蔵は著作を完成できなかっただろう。そういう意味で「女工哀史」は二人の共著とも言える。しかし当時女の結婚には家長の許諾が必要で、としおは父が細井のことを「貧乏文士」などと、よく思っていないので認めないと思い
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<![CDATA[ <span style="font-size:large;">[兵庫住民と自治] より<br />地域史人名録３７　戸崎曽太郎さんの投稿文を引用させて頂きます。<br /><br /><strong>名著「女工哀史」～細井和喜蔵と高井としお～</strong><br />　<br />　<strong>解放運動無名戦士の墓</strong>　<br />二人は夫婦である。としおの援助がなければ和喜蔵は著作を完成できなかっただろう。そういう意味で「女工哀史」は二人の共著とも言える。しかし当時女の結婚には家長の許諾が必要で、としおは父が細井のことを「貧乏文士」などと、よく思っていないので認めないと思い、正規の結婚をしていなかった。<br />ところが大正十四年に「女工哀史」が出版されてわずか一ヵ月後、力つきたのか細井は二十八歳で亡くなる。そうすると旧民法では内縁の妻には相続権がなく、印税は藤森成吉らがつくった「細井和喜蔵遺志会基金」に積み立てられることになった。戦後の出版も含め、印税積立の基金で青山霊園に「解放運動無名戦士の墓」が建てられた。毎年三月十八日(パリコンミューン記念日)に追悼祭が行われ新しい合祀がされている。<br /><br />　<strong>過酷な紡績工場の実態</strong><br />いま若い人の間で「蟹工船」が評判になっているのは、労働の現場が今も同じだという共感によるものだろう。「女工哀史」は「蟹工船」のようにドラマチックな小説ではないので、若い人に読まれないかもしれないが、読めば現在の労働者も同じだと感じることだろう。<br />明治三十六年に出た「職工事情」は紡績・織物工場の過酷な労働の実態を調査した記録であるが、官庁の報告書であり広く配布されることはなかった。改造社から出版された「女工哀史」は間もなく当時のベストセラーになる。大正デモクラシーが育てた広範な読者がいたのである。<br />細井は自ら紡績工場で働きながら、そのひどい実態を書かなければならないと強い使命感を持つに至る。「女工哀史」は生の生活記録であり、邪悪な工場・会社に対する抗議でもあった。既に動き出していた労働組合運動に対する資本の攻撃は厳しく、工場の実態を暴露することが闘いであったのだ。「女工哀史」は、当時の工場が募集・寄宿舎・労働において人を人として扱わない奴隷工場であったことを綿密に暴き出している。<br /><br />　<strong>細井和喜蔵のこと</strong><br />細井和喜蔵は明治三十年京都府加悦町に生まれたが幼くして両親と別れ、十三歳のとき育ててくれた祖母も亡くなり、小学校五年で機屋の小僧となって自立する。その後大正十二年までの十五年間紡績職工として各地を転々としている。<br />彼の死後改造社から出版された自伝小説『奴隷』によれば、大正五年には大阪西成にある紡績工場に勤めながら職工学校で二年間学んでおり、ついで西宮の夙川下流にあった工場に移っている。<br />大正九年二十三歳で上京し東京モスリン紡績亀戸工場に入る。労働組合運動には大阪で既に参加していたようだが、「アナ・ボル論争」の盛んな頃で、実際活動とは距離を置き文学に傾倒し、雑誌「種蒔く人」の同人と付き合っていた。しかし細井は組合活動家として会社に首を切られ「女工哀史」の執筆にかかるが、生活が大変であった。<br /><br /><strong>堀としおのこと</strong><br />堀(高井の旧姓)としおは明治三十五年岐阜県久瀬村に炭焼きの子として生まれた。としおは碌に学校に行けなかったが、本を読むことが好きでよく読んだ。田舎から出たくて募集人の甘言に乗り、大垣の毛織会社に入ってから紡績女工を転々とする。<br />大正九年名古屋の工場にいたとき工場のストライキに出合い、一枚のビラに書かれていた吉野作造の「自己の尊さに目覚めよ」という論文に感動し、としおは生まれ変わった生活をしょうと直ちに上京した。としお十八歳の時である。<br />結局女工しか出来ないので東京モスリンに入ったのであった。そこで出会ったストライキの集会で、労働総同盟の幹部が「八時間労働制」などを弁じるなか、彼女は立ち上がって「食堂はもっとマシなものを出せ」と演説し喝采を受ける。彼女は元来口が達者であった。会社はとしおを追い出そうと窃盗犯人に仕立て警察に逮捕させる。彼女は頑張り通し外で支援活動もあって釈放される。<br />そのとき組合役員が細井和喜蔵を紹介した。二人は話があい、としおは細井の執筆について聞き、これを支えようと決意、二人は大正十二年から共同生活をする。ところがその直後に関東大震災に遭い、東京をやっと脱出して兵庫県猪名川にたどり着く。ここでとしおは製織工場で働きながら細井の執筆を支えた。細井がやはり東京でないとと言うので、大正十三年東京に戻り、細井が「女工哀史」を脱稿するまで彼女はカフェッの女給をやって支えたのである。<br />　<br /><strong>　「私の《女工哀史》」出版</strong><br />刊行直後に細井が亡くなると、としおは女工として働こうとするが、どこへ行っても細井の妻であったことがわかると首になった。<br />やむなく大阪に行く。そこへ労働運動のオルグであった高井信太郎が追っかけてきて結婚する。西宮の今津で世帯をもつが、信太郎はいつも警察に追っかけられ不在の生活であった。その後は戦時下の窮乏生活、そして空襲にあい家を失う。終戦を迎えてすぐ夫信太郎が死ぬ。<br />戦後としおは塚口に移って闇屋を五年、ニコヨンを二十年やり女手ひとつで四人の子を育てた。としおは伊丹の全日自労を立ち上げ最高時千人の組合にする。高井としおは一九八〇年七十八歳で自分の人生の記録「私の《女工哀史》」を書き草土社から出版した。三年後八十一歳で逝去。<br />(岩波版「女工哀史」附大河内一男あとがき)</span> ]]>
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<dc:subject>女工哀史</dc:subject>
<dc:date>2009-10-04T09:36:56+09:00</dc:date>
<dc:creator>たんぽぽ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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