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2009.01.10
「女工哀史」現代版はアジアに
安さの裏にひそむ現代の「女工哀史」
私はほとんどの服をユニクロで買う。ジーンズでも3000円、シャツでも1000円で手に入る価格から離れられない。センスもいい。多くを人件費やコストの安い中国で製造しているからということだが、私はさいきん『大地の慟哭』という中国の出稼ぎ農民(民工とよばれる)の悲惨な労働状況のレポートを読んだ。つなげてみれば、現代の「女工哀史」によって、私たちは安い中国製の服や物を買っているという現実に思い当たる。
1845年に出版されたエンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』、そして1903年(明治36年)の『職工事情』、1925年(大正14年)の『女工哀史』などの本をまとめて読んでいるが、19世紀のイギリスや20世紀の日本でおこなわれた過酷な労働がこんにちの中国でもくりひろげられているのである。そして私たちはそのような過酷な労働のうえに安い商品を享受しているのである。
明治・大正におこった凄惨な労働条件はこんにちでも決して終わっていない。まさに私たちの足元にころがっている。というか、私たちがもつ商品やブランドの向こうには現代の「女工哀史」が大きく広がっているのである。
アメリカでもこのような労働が「スウェットショップ(搾取工場)」とよばれ、90年代中ごろから社会問題として認識されるようになった。たとえばこのような例がある。
「スウェットショップからの問題提起」 宮坂純一からコピペ。
1)カリフォルニア州エルモンテ市の不法工場において奴隷状態で就労されている移民の衣服産業労働者、
2)非衛生的な労働条件で長時間労働させられている児童労働を責められた、エルサルバドルの現地工場から製品を輸入しているギャップ(Gap Inc.)(19)、
3)低賃金で長時間労働を強制させていると非難された、東南アジアにあるナイキ(1962年創立のスポーツシューズメーカー)の現地下請け工場、
4)低賃金、児童労働、除草剤の使用、等で非難された、スターバックスのグアテマラのコーヒー供給者、
5)パキスタンの子供たちが縫ったサッカーボールを販売していたアメリカの大手スポーツグッズ会社、
6)ホンジュラスの10 代初めの子供が低賃金で長時間労働を強制されて製造していた衣料品を、アメリカのテレビ界の人気女性キャスターKathie Lee Gifford が保証し、それを販売していたウォルマート(20)、
7)ハイチの工場で標準以下の労働条件のもとでつくられたディズニー・ブランドのグッズ。
私たちが外国産の安い服や商品を買うということは、このような過酷で凄惨な労働条件を背負った後進国の人たちによって、その恩恵をこうむっているのである。つまりはかつての日本の女工たちが凄惨な労働を課せられた状況を、現代では私たちは後進国に背負わせて、安い価格の商品を手に入れているのである。いわば、明治のご先祖たちの姿を現代の後進国にわれわれは現出させているのである。
「95年に労働省が摘発した工場の悲惨さは、第三世界にまさるとも劣らぬものだった。たとえばロサンゼルス郊外の工場では、六十余名のタイ移民女性労働者が監禁され、1週7日、ときには1日20時間も働かされていた。時給はわずか70セント、脱走者には暴力とレイプが加えられたという。その製品は大手百貨店や通信販売を通じて、高級ブランドとして販売されていた。…同省によれば90年代にアメリカ国内で生産された高級衣料品の6割はスウェットショップがかかわったものだという」(「安さの陰にひそむ矛盾/古沢広祐ー『安ければそれでいいのか!?』(山下惣一・編著/コモンズ) 「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)
Maquila Solidarity Network
カナダのトロントに本部を置くこの団体は、毎年コンテストを行い、年間最優秀スウェットショップ賞を有名ブランド企業に対して贈っている。今年1月、28カ国から2,000人あまりの人々が、「年間最優秀スウェットショップ」2002の名誉に値する企業にオンライン投票をした。今年の受賞者は、他を圧倒したウォルマートで、56%の票を集めた。この世界最大の小売業者は、世界中のスウェットショップで衣料品労働者を酷使し、北米に展開する販売店の従業員の権利をも侵害しているとして告発されている。その他にも次の様な罪を犯している。
・ウォルマート製品の縫製を行っているレソトにある20の工場の労働者は、1日14時間労働で月給は54ドルであるが、この金額では労働者の基本的なニーズの半分も満たすことができない。ウォルマートに製品を納めるある工場では、超過勤務が発覚しないようにするため、日曜出勤をタイムカードに記録しないように命令されているとの報告がある。
企業犯罪防止に全力で取り組む
私たちは自国から悲惨な労働条件は追い払ったと認識しているかもしれない。私の職業経験からしてそんな話は露とも信じられないが、まあ世間並みに、あるいはマスコミがそういうようにそういうことにしておこう。しかし私たちが手に入れる安い商品や優良な企業の商品は、後進国の凄惨な労働状況のもとに生産されたものであったりするのである。人権無視の労働を、自国ではおこなっていないが、他国に背負わせて、私たちはその血と涙の商品を手にするのである。
これが日本でマスコミの話題になることはほとんどない。考えてみたらTVニュースや新聞は広告やスポンサーによって成り立っており、企業や商業を非難するニュースなどとりあげる望みなんてありえない。絶望的である。アメリカのように社会運動が盛り上がるということも、企業や労働にたいして沈黙で従順な民に望むべくもない。
後進国の労働者を酷使した企業のブランドを不買にするという抵抗もできるだろう。商品をその品質のみに目を向けるのではなく、労働から評価するという視点は大事だと思う。私たちはあまりにもそれらを切り離しすぎてきた。貨幣経済とはこのような人間としての痛みや苦しみ、境遇が切り捨てることができるからこそ、こんにちのような消費・労働社会がつくられたのである。しかし商品とはひとりの人間によってつくられたものであり、かれらはよい生活や楽しい人生を送りたいと思うのはあたりまえのことである。私たちはそれを奪ってまでして、安い商品を手に入れたいというのか。
ただ安い商品を手に入れたいのはあたりまえのことである。しかしその商品の裏には搾取や酷使の労働が貼りついているかもしれない。経済の歴史とはこのような後進国の低賃金を利用することによってその差額によって安い価格で売ったり、高サービスを提供してきたという歴史・しくみがある。19世紀のイギリス、20世紀の日本、そしてこんにちの中国や東南アジアにそれはひきつがれてきた。安さを求める価格の欲望が、凄惨な労働条件に落とし込むのである。経営者が自己利益のためにおこなうというよりか、切り下げられた受注価格に対応するにはそうするしかない場合もあるのだろう。
まだまだ考察をつづけるべきなのだが、長くなりすぎるので、今回はこのへんで終わりにしよう。あらためて考えるべき問題だし、もうすこし熟考を重ねたいと思う。
私たちはある商品を買うときにその商品にこめられた労働者の状況というもの思い含めることも大切なのではないかと思う。商品がよくても、その労働者が酷使されたり、不幸であったりしたら、その商品をよいものだと見なすことができるだろうか。商品とは人間がつくったものであり、人生がある。労働や企業の過程もふくめた商品選択や消費をおこないたいものである。
私はほとんどの服をユニクロで買う。ジーンズでも3000円、シャツでも1000円で手に入る価格から離れられない。センスもいい。多くを人件費やコストの安い中国で製造しているからということだが、私はさいきん『大地の慟哭』という中国の出稼ぎ農民(民工とよばれる)の悲惨な労働状況のレポートを読んだ。つなげてみれば、現代の「女工哀史」によって、私たちは安い中国製の服や物を買っているという現実に思い当たる。
1845年に出版されたエンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』、そして1903年(明治36年)の『職工事情』、1925年(大正14年)の『女工哀史』などの本をまとめて読んでいるが、19世紀のイギリスや20世紀の日本でおこなわれた過酷な労働がこんにちの中国でもくりひろげられているのである。そして私たちはそのような過酷な労働のうえに安い商品を享受しているのである。
明治・大正におこった凄惨な労働条件はこんにちでも決して終わっていない。まさに私たちの足元にころがっている。というか、私たちがもつ商品やブランドの向こうには現代の「女工哀史」が大きく広がっているのである。
アメリカでもこのような労働が「スウェットショップ(搾取工場)」とよばれ、90年代中ごろから社会問題として認識されるようになった。たとえばこのような例がある。
「スウェットショップからの問題提起」 宮坂純一からコピペ。
1)カリフォルニア州エルモンテ市の不法工場において奴隷状態で就労されている移民の衣服産業労働者、
2)非衛生的な労働条件で長時間労働させられている児童労働を責められた、エルサルバドルの現地工場から製品を輸入しているギャップ(Gap Inc.)(19)、
3)低賃金で長時間労働を強制させていると非難された、東南アジアにあるナイキ(1962年創立のスポーツシューズメーカー)の現地下請け工場、
4)低賃金、児童労働、除草剤の使用、等で非難された、スターバックスのグアテマラのコーヒー供給者、
5)パキスタンの子供たちが縫ったサッカーボールを販売していたアメリカの大手スポーツグッズ会社、
6)ホンジュラスの10 代初めの子供が低賃金で長時間労働を強制されて製造していた衣料品を、アメリカのテレビ界の人気女性キャスターKathie Lee Gifford が保証し、それを販売していたウォルマート(20)、
7)ハイチの工場で標準以下の労働条件のもとでつくられたディズニー・ブランドのグッズ。
私たちが外国産の安い服や商品を買うということは、このような過酷で凄惨な労働条件を背負った後進国の人たちによって、その恩恵をこうむっているのである。つまりはかつての日本の女工たちが凄惨な労働を課せられた状況を、現代では私たちは後進国に背負わせて、安い価格の商品を手に入れているのである。いわば、明治のご先祖たちの姿を現代の後進国にわれわれは現出させているのである。
「95年に労働省が摘発した工場の悲惨さは、第三世界にまさるとも劣らぬものだった。たとえばロサンゼルス郊外の工場では、六十余名のタイ移民女性労働者が監禁され、1週7日、ときには1日20時間も働かされていた。時給はわずか70セント、脱走者には暴力とレイプが加えられたという。その製品は大手百貨店や通信販売を通じて、高級ブランドとして販売されていた。…同省によれば90年代にアメリカ国内で生産された高級衣料品の6割はスウェットショップがかかわったものだという」(「安さの陰にひそむ矛盾/古沢広祐ー『安ければそれでいいのか!?』(山下惣一・編著/コモンズ) 「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)
Maquila Solidarity Network
カナダのトロントに本部を置くこの団体は、毎年コンテストを行い、年間最優秀スウェットショップ賞を有名ブランド企業に対して贈っている。今年1月、28カ国から2,000人あまりの人々が、「年間最優秀スウェットショップ」2002の名誉に値する企業にオンライン投票をした。今年の受賞者は、他を圧倒したウォルマートで、56%の票を集めた。この世界最大の小売業者は、世界中のスウェットショップで衣料品労働者を酷使し、北米に展開する販売店の従業員の権利をも侵害しているとして告発されている。その他にも次の様な罪を犯している。
・ウォルマート製品の縫製を行っているレソトにある20の工場の労働者は、1日14時間労働で月給は54ドルであるが、この金額では労働者の基本的なニーズの半分も満たすことができない。ウォルマートに製品を納めるある工場では、超過勤務が発覚しないようにするため、日曜出勤をタイムカードに記録しないように命令されているとの報告がある。
企業犯罪防止に全力で取り組む
私たちは自国から悲惨な労働条件は追い払ったと認識しているかもしれない。私の職業経験からしてそんな話は露とも信じられないが、まあ世間並みに、あるいはマスコミがそういうようにそういうことにしておこう。しかし私たちが手に入れる安い商品や優良な企業の商品は、後進国の凄惨な労働状況のもとに生産されたものであったりするのである。人権無視の労働を、自国ではおこなっていないが、他国に背負わせて、私たちはその血と涙の商品を手にするのである。
これが日本でマスコミの話題になることはほとんどない。考えてみたらTVニュースや新聞は広告やスポンサーによって成り立っており、企業や商業を非難するニュースなどとりあげる望みなんてありえない。絶望的である。アメリカのように社会運動が盛り上がるということも、企業や労働にたいして沈黙で従順な民に望むべくもない。
後進国の労働者を酷使した企業のブランドを不買にするという抵抗もできるだろう。商品をその品質のみに目を向けるのではなく、労働から評価するという視点は大事だと思う。私たちはあまりにもそれらを切り離しすぎてきた。貨幣経済とはこのような人間としての痛みや苦しみ、境遇が切り捨てることができるからこそ、こんにちのような消費・労働社会がつくられたのである。しかし商品とはひとりの人間によってつくられたものであり、かれらはよい生活や楽しい人生を送りたいと思うのはあたりまえのことである。私たちはそれを奪ってまでして、安い商品を手に入れたいというのか。
ただ安い商品を手に入れたいのはあたりまえのことである。しかしその商品の裏には搾取や酷使の労働が貼りついているかもしれない。経済の歴史とはこのような後進国の低賃金を利用することによってその差額によって安い価格で売ったり、高サービスを提供してきたという歴史・しくみがある。19世紀のイギリス、20世紀の日本、そしてこんにちの中国や東南アジアにそれはひきつがれてきた。安さを求める価格の欲望が、凄惨な労働条件に落とし込むのである。経営者が自己利益のためにおこなうというよりか、切り下げられた受注価格に対応するにはそうするしかない場合もあるのだろう。
まだまだ考察をつづけるべきなのだが、長くなりすぎるので、今回はこのへんで終わりにしよう。あらためて考えるべき問題だし、もうすこし熟考を重ねたいと思う。
私たちはある商品を買うときにその商品にこめられた労働者の状況というもの思い含めることも大切なのではないかと思う。商品がよくても、その労働者が酷使されたり、不幸であったりしたら、その商品をよいものだと見なすことができるだろうか。商品とは人間がつくったものであり、人生がある。労働や企業の過程もふくめた商品選択や消費をおこないたいものである。
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